「野試合どうだ?申し込みが来てるぞ」

Kは小百合を呼びつけて封筒を渡した、果たし状とある。

「なんで卒業してるのにウチにアンタ宛の果たし状が来るのか……。

Kは露骨に嫌そうにしたが、小百合は驚いていた。

もし賞賛があるなら賞金を貰えるA地区会場で試合を申し込んでくるはずなのにと。

 

「ありがとうございました預かって頂いて」

小百合はKのいる職員室から出ようとするといわれた。

「あんたの事だから野試合受けるんだろ?」

「はい、プロとして受けます」

それを聞くと「はいはい」とでも言うようにKは手をシッシッと動かした。

だが表情は嬉しそうでもあったのを小百合は見ていた。

 

 相手の名前は書いていなかったが、小百合は当日その場所まで行ってみた。

風が吹き初夏には気持ちの良い丘に出た。

特設リングがおいてあり、一人の女性が待っていた。

長い黒髪をサラサラと風に靡かせながら、鋭い眼光を放っている。

「やっぱり来てくれたか」

来てくれたという割にはその眼光は訪れず、ニヤリともしない。

「鬼神(キシン)」と呼んでくれ。

 

「あ……」小百合は思わず声に出した。

自らの名前を鬼神と呼ぶボクサーがいたはずだ。だがそれは表舞台の話、裏世界の

ボクシングには関係の無い存在だ。

 

「一応表だって、表社会と裏社会が衝突するワケにはいかないんだ、だからこうした。

 察してくれ」

鬼神は少し申し訳なさそうな顔をした。

 

「いえ……喜んで受けます」

そう言うと初めて鬼神はふっと笑った。

「強い者と戦いたかった、本当に嬉しいな」

小百合はそこでボクシング姿に着替えようとした。

 

「こちらが果たし上を出した身だ。トップレスになろう」

鬼神は大きな胸をぶるんと出して上半身裸になった。

「そして私は挑戦者として、青いグローブとシューズをつけよう」

「あ、あの私も青しか持ってきてないんですが……」

そこで鬼神は声をあげて笑った。

「すばらしい。本当にあなたはおごらない人だ。強気で赤をそろえて来ると思ったのに」

 

通常、ボクシングは格上は赤コーナー、格下が青コーナーとなっている。

 

「セコンドなど用意できない。二人だけの、倒れるまで続ける死闘をしようじゃないか」

そう言って鬼神は構えた。

小百合もリングに上がると構える。

「このコインを投げよう、落ちた音が合図だ」

ピーンと鬼神の指からコインが放たれ……。

チャリンという音と共に二人は手を出した。

 

鬼神は途中でパンチを止め、のけぞって小百合のフックをかわした。

「危ないな……スピードはそちらが上か」

追撃するように小百合は今打った右のフックから腰をねじり、左のフックを放った。

鬼神はそれを腕でガードするが、ビリビリと腕が痺れ、衝撃が全身を襲った。

「くっ、凄いな。だがパワーで引けをとるわけにはいかない。私は鬼だからな」

鬼神のストレートが放たれた。まるで映画のショットガンのようにズドンと音がして

薬きょうが転がりそうなイメージが小百合の脳裏に浮かんだ。

(ガードだ!)

小百合は両腕をクロスした。避ける余裕が無かったからだ。

だが鬼神は途中でストレートを止めた。

「連突き!」

もりあがった筋肉をフルに使い、常人のストレート並のパンチを連続で打って来た。

小百合のガードが少しずつ崩れる。

腕がジンジン痛み、限界になりガードを解いた。

「あきらめたかっ!」鬼神は今度こそがら空きのガードへストレートを打って来た。

グワシャッと小百合の顔が歪み、唾液を撒き散らした。

 

だがカウンターを打っており、同じく鬼神の顔にもストレートが決まっていた。

ダメージは鬼神の方が食らっているようで、小百合はフラリとよろけたが鬼神はストーンと腰を落とした。

「お前は……強いな」

鬼神は唸るように言いながらゆっくりと立ち上がる。

この場で驚いているのは小百合だった。これだけの手応えですぐに立ち上がれる鬼神に

タフさを強く感じた。

 

「体力回復をするか、インターバルも無い事だしな」

鬼神はガッチリとしたガードをした。

(ここで使うべきか、まだほとんど練習をしていない)

小百合は迷った。だが全てを出し切らないと申し訳無い。

己の拳を鋭い剣だと必死に想像をする。鎧を貫通する鋭い剣。

 

「いっけぇぇぇぇぇぇぇ!」

小百合は驚くほど正確に垂直なストレートを打った。

 

鬼神のガードをそれはすり抜け、胸をドンと打つ。

 

(行ける! 連打だ!)

これは後にメイルブレイカーと呼ばれる技となるが、これが試合で初めて使った原型となる。

どっ! どっ!

ガードをすり抜けて鬼神の胸部を次々と打つ。

「これは……何という……」

鬼神はガードをダラリとおろした。さすがに連続で打撃をするとダメージは蓄積するらしい。

「乳房は避けて真ん中の胸部だけを狙ったか、それには例を言おう。バストへのパンチは

 表ではご法度だからな」

 

小百合はフィニッシュに入ろうと、顔面を狙ってストレートを打った。

それはおでこのあたりに当たり、ガッと骨のなる音がして鬼神は大きくのけぞった。

それでも鬼神は倒れない。

と、鬼神のおでこから血が垂れた。それを自分のグローブでヌルリと確認すると、

鬼神の表情が変わった。

「血だ。血だ……」

最初、小百合は鬼神が動揺しているのかと思ったが違った。

動揺しているように体が小刻みに震えているのは武者震いだったようだ。

 

「やっぱり血だよなぁ、私はこうやって血を滾らせて戦うのが性に合っている」

 

そう言うと鬼神は乱暴にパンチを打ち始めた。

正確さは無いがパワーのある、どこから飛んでくるかわからないフックが襲い掛かってくる。

(酒を飲んだ酒呑童子みたいだ)

小百合がそう思った瞬間、気を抜いてしまったのか一発フックを喰らった。

脳がグラリと揺れる。

突破口を切り開いたように鬼神の両方のフックが何度もクリーンヒットを連発させた。

小百合は鼻血を散らし、口から血を散らし、一気に顔面を血だらけにした。

 

「まだまだッッッッ!」

鬼神の目は釣りあがり、小百合のダウンを許さず次々とフックを打ってくる。

小百合はロープぎわに追い詰められ、追撃を繰り返される。

(これはまずい……)

意識が遠ざかる。

その中で開発中の技が思い浮かんだ。

(出さないとこのまま負けるッ!)

小百合は鬼神の右フックを体を回転させてサラリとかわした。

「ぬっ?」

鬼神は少し驚いて腕を止めた。

今、絶好の場所へ小百合はいる。

「だぁぁぁぁぁぁ!」

全体重をかけて喧嘩で殴りつけるように小百合のストレートは放たれた。

だが鬼神はニヤリと笑うとガードをした。

「奇襲か、常に私は備えている。隙は無いぞ」

それでも小百合はストレートを止めない。

鬼神は顔色を変えた。

「ひょっとしてさっきの……」

 

小百合のストレートは鬼神のガードの隙間へ滑り込むように入り、胸を殴打した。

「がはっ!」

鬼神はさすがに今回の威力のパンチにはこたえたらしく、マウスピースを吐き出すと

四つんばいになった。

 

「少しだけダメージを返せた……」

小百合はそう言うと、フラフラしながらロープにもたれかかった。

 

鬼神はマウスピースを咥えると苦しそうに立ち上がった。

「マウスピースなんぞほとんど吐いた事は無い。さすが小百合さんは凄い選手だな」

鬼神はそう言ってマウスピースをギリッと噛み、口の端から唾液をこぼした。

鬼神のおでこから流れている血は止まらずに顔面を染めている。

一方の小百合も連続の殴打によって顔面を血に染め、鼻や口から血を垂らしている。

 

「ごほっ!」

突然、鬼神が血を吐いた。どうやら肺にまでダメージは通っていたらしい。

「五分五分か? ダメージでは」

鬼神は少し胸を押さえて呼吸を整えると突っ込んできた。

走りながらの連打を打ってくる。

 

きっと連打にしたのはカウンターを避ける為だろう。だが小百合への効果は抜群だった。

ガードを続けて腕を痛めているのでどう、この攻撃を避けるのか迷った。

 

その迷った瞬間にめった打ちにされていた。

先ほどと同じように連打の繰り返しで両頬を殴打される。

血は更に加速して辺りに飛び散る。

「さすがにこれで終わりだろう……」

そう言って手を止めた鬼神の前にはボロボロになって半分白目になった小百合が足を

ガクガクとさせながら何とか立っていた。

 

「ヴホッ」

 

小百合は勢い良く血みどろのマウスピースを吐き出し、それは鬼神の胸へとピチャリと当たって

血と唾液を散らし、しばらく張り付いていたがズルリと落ちてマットの上をベチャベチャと跳ねた。

 

「終わりだ。幾度も無くこの胸に……さすがに表なのでスポーツブラは着けていたが

内臓のように見える血みどろのマウスピースを吐き出してベチャリと当て、試合は終わる。パターンだ」

そう言うと少し残念な顔へと鬼神はかえる。

「私が加速してから皆、ここから先へは行けない。しょうがない事なのか。小百合さんなら

もっと高みの試合が出来ると思ったんだが」

 

「……と思いますか?」

小百合が呟いた。

 

「ん?」

鬼神は聞き返すと小百合ははっきりと言った。

 

「これで終わると思いますか? だてに死線は潜り抜けていませんよ」

そう言いながら全身から次々と出る汗を散らせながら小百合は鬼神へ殴りかかった。

「来るかっ! 小百合さん!」

鬼神の顔は狂気に満ちた顔をしているが非情に満足そうだ。

「だが小百合さん、その状態でのパンチのパワーは望むほど出まい!」

小百合はその言葉にひるまず、迷わず右フックを打った。

 

「避けるのはたやすい! どう出る気かな? ッッ……」

小百合はぐるりと一回転して威力を付けたフックを打ってきた。

「そんな手がっ!それにシューズでそこまで回転出来るハズが無いっ!」

鬼神は叫んだが目の前で起こっている事実はかわらない。

鬼神の頬へ小百合の懇親のフックが突き刺さる。

 

内臓のような真っ赤なマウスピースを吐くのは、今度は鬼神の番だった。

鬼神は派手にあおむけに倒れて背中を殴打する。

 

「私が回転出来たのは……私の汗と血がマットの上へ垂れていたからッ!」

 

「き、奇想天外な事をやってのける。己の屍を超えていけとでも言わんばかりの発想だな」

鬼神は苦痛に顔を歪ませて立とうとしている。

 

「私は地下ボクシングのトップクラスにいる以上、負けるわけにはいかない。それは

負けて行った選手たちへの、そのせいで選手をやめていった人達へのレクイエムを奏でるが如く、

私は進みながら拳を振るう!」

 

「ふ……ふふふ、その拳はタクトのようなものか。それにしてもここまで心が躍る試合が出来るとは」

鬼神は立ち上がった。今まで小百合が戦った相手の中でもこれだけタフで精神の強い人間はいなかった。

まさにこの人は鬼神という名前にふさわしいと思った。

 

それは致命的な打撃をうけて尚、色々と考える余裕、殴られても迷わず殴り返してくる気迫。

今はダウンを奪ったが、すぐに試合展開をひっくり返されそうな空気。

汗だくの小百合は背中に少し悪寒を感じた。

 

だがさすがの鬼神にもダメージはわりと行っているらしく、立ち上がってもフラフラしており

クリンチをして来た。

「これも戦術だよな? 小百合さん。少し休ませてもらおう」

ねっちょりと汗ばんだからだがくっ付いた。

鬼神からは確かに、女性の香りがした。

ほんのり甘い香りに汗の酸っぱさがまじり、ほのかに体から湯気があがる。

風吹く丘で気温の少し低めな場所なのでその湯気は見えやすくなっているらしい。

(この人も女性なんだ、鬼神であるが一人の人間、一人の女性でもあるんだ)

 

小百合はそう感じた。鬼神という名前への恐れが少し薄れた気がした。

 

「いや、すまなかった、少し回復させてもらったよ」

ニチャリと二人の体が離れる。

(しまった、考えすぎてクリンチ拒否を忘れていた!)

小百合は悔やんだ。

 

「さあ試合再開だ。敬意を表してそちらにあわせよう」

鬼神はスパッツを脱いだ。

「裸でやるのだろう? 本当は。ここには人も来ないし風は吹くし、気持ちが良いな」

汗で鬼神の陰毛はふやけており、その茂みは特に整えられている様子も無く、野生的な

匂いがしそうだと小百合は感じた。

そして小百合もスパッツを脱ぐ。

モワッと自分の股間から目に見えない蒸気がたちのぼり、激しい打ち合いの為の尿漏れか、

乾いた尿のにおいがした。

 

「さあ小百合さん、小技は無しだ。私は一気に強打で勝とうと思っている」

「……わかりました、こちらも覚悟を決めて出すべきパンチを出します。

 

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

鬼の咆哮が聞こえ、ストレートが飛んできた。

小百合はカウンターを打つ!

 

ぐっしゃぁぁぁぁ!

 

二人の血が飛び散る。

(ダメージでは勝った!)

そう思った瞬間、鬼神は全くひるまずに逆のストレートを打ってきた。

ぐじゅぅっ!

カウンターのタイミングを逃し、小百合はそれを単独で思い切り浴びた。

 

(あ……)

小百合はあおむけに倒れた。というより崩れ落ちたという方が正しいかもしれない。

 

 

小百合はしばらく立てず、試合は終わりとなった。

小百合は意識が無くなり自分ではわからなかったが、痙攣を繰り返し血の泡をガボガボ吐いていたらしい。

鬼神は勝ち誇るわけでもなく、それが詰まらないように小百合の体を横にしてタオルで口の中を拭いてくれて

いた。

 

「いい風だな。とても気持ちが良い」

鬼神は丘の風を浴びていたが、汗のせいで髪はべっとりとなり、そよぐ事は無かった。

 

「ほら、小百合さん掴まれ」

鬼神は近寄ってくると小百合を立たせた。

 

「あの、何で私を選んだんですか?」

小百合はふとした疑問を言ってみた。

 

「美由紀という女性も強いらしいな、だが小百合さんの努力を買いたかった」

「努力?」

「パワーが無い、頭脳戦だけで戦うわけでもない……いや、違うな」

「違う?」

「実は一度、小百合さんの試合を見に行って感動したからな」

「そうですか?」

「ああ、その華奢そうな体でよくもまあ頑張るものだ。あきれかえってな、それと同時に

 私の血の滾りを満たしてくれそうな気がしてな」

 

「あの、み、満たされました?」

 

「ああ、今晩は興奮して眠れないかもしれない」

 

「そ、そうなんですか」

 

「それと私の腕や胸の骨にヒビがいってる、痛さで眠れないかもな」

 

そう言って鬼神は笑顔を見せた。